2007年2月 4日 (日)

第3回 ガラスののど

第3回 ガラスののど

めでたく第三舞台に入った筧さん。『春にして君と別れ』『リレイヤーⅡ』『もうひとつの地球にある水平線のあるピアノ』(脚本は出版されています・図書館にあり)と、さくさくとこなしていきますが・・・

1986年の『デジャ・ヴュ‘86』で試練が!!

それは・・・「役者の筧が開演5分前に泣いている、髪形がきまらないと。つばでもぬっとけ!」(鴻上尚史さんの40冊くらいあるエッセイのどれかから・・・いっきに読みすぎてどこにあったか忘れた)

ではなくてーーーー!

どうやら、詳細は不明ですが、かなりてんぱった状況だったらしいです。

『第三舞台』という本(サードステージ編・図書館にあり)の当時の観客アンケートにも「かけいしっかりせい!」という文字が・・・(そんなこまかいとこまで読む私。おたくだねっ)

そして、声が出なくなった筧さんは夜中に必死で医者の門をたたき、のどに注射をしてもらってがんばったということです。

しかしこれによって、「役者としての自覚がかわった」ということ!しかも、しばらく「ガラスののど」というキャラになっていたらしいっす。

そして、新しい一歩をふみだした筧青年に、次なる飛躍がまっていたのです。

つづく

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第2回・オーディション

2回・オーディション

大人気小劇場「第三舞台」のオーディションにやってきた筧青年。

見渡す限りの応募者・・・(という状況かどうかわかりませんが、とにかくすごい数の応募者だったそうです)。

主宰の鴻上(読みは「コーカミ」)尚史さんは、年もそんなに筧さんとかわらず、温厚そうな外見にもかかわらず、脚本家、演出家、エッセイストとして、ばりばり頭のスルドイ方!

(コーカミさんマメ知識:40才で研修をかねて1年間ロンドンの演劇学校で勉強したコーカミさんですが、なんとクラスメートに、デビュー前のオーランド・ブルーム@「ロードオブザリング」のレゴラス)がいたそうです!)

そして、鴻上さんは筧さんに言った・・・

「笑ってみい!」(そんな言い方かどうかはちょっと・・・)

「は・・・はっはっはは!」

「うう・・・笑えていない!・・・合格!」

というわけで、なぜかめでたく、たった一人の合格者に!

ヒゲをそりおとして、髪のパンチパーマもとり、スーツを着込んだ筧さんは、自分から「更正したひとみたい」とにっこりきめたのでした・・・

1985年のことでした。

が!そんな筧青年にあらたな試練が!

つづく

おまけ:そのころのギバさん

1983年、欽ドンの「良い先生」役で、秋田なまりの「こねこちゃん」として人気者になりつつ、一世風靡セピアでは、こわもてのダンスインストラクター「ジョニー」として大活躍!1984年には「ソイヤ!ソイヤ!」の「前略道の上から」を発売。当時のビデオ「現在が好きです/セピア・ファントム」は今もDVDで発売されていて、超かっこいい、キレキレのダンスを踊る男気まんさいの美少年ギバさんがたんのうできます。

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第1回大阪芸大時代

1回大阪芸大時代

静岡の高校から大阪芸大演劇科に進学した筧さん。少林寺拳法部に所属し、パンチパーマにちょびヒゲというあやしい格好で、シェークスピアなどを演じたそうです(授業で!)。

大阪芸大といえば、関西では演劇の有名校。出身俳優さんには時任三郎さんも。時任三郎さんご本人製作のホームページの「エッセイ集・・・2003年「DR.コトー診療所」日記」の「8月某日」のところに、その縁で、筧さんが特別に日記を書いておられます。名文です!

そして大学の先輩である「いのうえひでのり」さん主宰の劇団「新感線」にさそわれて、大学生時代から、あっというまに関西の花形役者に!

そして卒業時、筧さんはいのうえさんに言われました。

「東京へ行って、「第三舞台」のオーディションをうけてこい!」

「第三舞台」は早稲田大学在学時代鴻上尚史さんが旗揚げした、既にカリスマ的超人気のあった小劇場。

はたして、東京に旅立った、パンチパーマにちょびヒゲの筧青年の運命は?!!!

つづく

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