東京大森にある、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」のオープンハウスに参加させていただいたのは、このブログを作る前ですから、4~5年前のことでしょうか。
こちらは、あの『赤毛のアン』を翻訳された村岡花子さんのご自宅ですので、広いミュージアムではありませんが、さっきまで村岡さんがお仕事をされていたような書斎に続くリビングで、お孫さんの美枝さん、恵理さんご姉妹から、参加した「アンの腹心の友」4~5人でティーとともに村岡先生のことを語っていただく・・・
夢のようなひとときでした
。
ずっと前から、私の関心はアンとともに、村岡先生ご自身のこととなっていました。
女性の地位も低く、学問も許してもらえなかった時代に、どうして英文学の翻訳をされたのか。
そこで、そのとき、
「私は村岡先生の伝記がとっても読みたいのです!」
と言ったところ、お二人から、
「実は、今書いているんですよ!」
とのうれしいお知らせ。
「ところが調べれば調べるほど、まず祖母(村岡先生)の両親の経歴からおもしろいことがたくさん出てきて、なかなか仕事が終らないんです。気長に待っていてくださいね」
村岡先生のお孫さんが書く!
これほどふさわしいことがあるでしょうか!
そして、今年、『赤毛のアン』原書出版100年の年、ついに待っていた評伝が出たのでした・・・。

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』マガジンハウス。
そして、調べれば調べるほどおもしろいとおっしゃっていたので、細かい字のぶあつい本かと思っていたら、意外にふつうのサイズの本で、しかも活字も大きめ・・・。
ちょっとものたりなーい、もっとぶあつくーと、私からすれば思ったのですが、すぐ、その世界にひきこまれました・・・。
まるで物語のように書いてあるのです!
社会主義運動に身を投じた理想主義の父親に期待をかけられ、「給費生」として東洋英和女学校に入学。
しかし、その下の7人の弟妹はすでに貧しさのため、学業ならなかったのでしたが・・・。
そんな中、花子さんは、カナダ人宣教師の先生がたのいらっしゃる寮での別世界の生活を送ります。
それがまたもうーー、吉屋信子さん、もしくは『マリア様が見てる』(笑)の世界!←若いヒトのためにわかりやすいようにつけたしました。
そんな中、本が好きだった少女花子さんは、図書室の洋書・・・カナダ人宣教師の先生が「良書」として選びぬいた本・・・を、かたっぱしから辞書をひきひき読み始めます。
そして、15才になったときは、ミルトンやテニソンもたんのうするほどに。
もうここで、『アン』を翻訳するために必要な下地が形成されていたのですね~~~~。
『アン』は聖書はもちろん、かなりの英文学の古典の素養がないと、読めないんです。
しかも、生活をともにし、交替で先生のお部屋の清掃なども担当し、先生たちに生活の規律から、ベッドメイキング、お茶の時間まで教えてもらっていた花子さん、その生活こそ、アンが生きていた同時代の生活だったのです!
日本が貧しかった明治中後期に、花子さんは、寮で、アンと同じお茶やレアケーキをいただいていたのですって!
若い先生の中には、センスのいい「ふくらんだ袖(パッフトスリーブ)」のドレスで教壇に立たれる方もいらしたのですって!
もう、『アン』を翻訳する星の下にお生まれになった方だったのですねーー。
ちなみに・・・大学院で「テニソン」やりましたが、さっぱりこっぱり、訳がむずかしくてダメダメでした~~~。
しかもしかも、花子さんは、寮で、柳原白蓮(後の)と、まるで姉妹のように親密に~~。
そのいきさつやら、お手紙やら・・・ああ~吉屋信子さんだわー(または『マリア様が見てる』)。
さらには、芥川龍之介の「想い人」で聡明なアイルランド文学者片山廣子さんとも親密だったとは~~~。
花子さんの行く手には、かならずかわいがってくださる年長のステキな女性がいたのでした。
そうはいっても、たとえ友人でもちょっとした年の差からくる微妙な生きる力の違いなども、よくわかりました。
で、実は吉屋信子さんとも後に当時数が少ないためにまとまっていた、女流文学者仲間として交流があったということなのです。
もうーーステキすぎですぅーーー。
夏休み、緑陰の椅子で、時を忘れて、村岡先生の復刻版の随筆『をみななれば』『改訂版生きるということ』や、これも復刻された片山廣子さんの随筆『燈火節』、そして田辺聖子サンの『ゆめはるか吉屋信子』、林真理子さん『白連れんれん』などを、関連するものとして、ゆーっくり読めたらどんなにいいでしょうううーー。
もちろん、村岡先生の翻訳による『リンバロストの乙女』『スウ姉さん』を訳した思いもわかりましたので、これも読み返してみたいですうー。
そのときは、家事料理はメイドさんと執事さんがやってくれること希望で(笑)。
このブログ内での関連記事です。PE島の写真があります。ようこそ「赤毛のアン」の世界へ
PS.村岡先生は「ものを捨てられないタイプ」だそうで、そこで今でも、原稿だのなんだの、「お宝」が残っていて、見せていただけたのです。
ビバ!「ものを捨てられないタイプ」(笑あんど自分への言い訳・)