2012/01/29

多文化共生コンサートに行ってきました

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ブログにコメントよせてくださった方から、こういう催しがあると知って、喜んで行かせてもらいました。

多文化共生コンサート 外国につながりを持つ子どもの教育問題を考える 世界の歌と踊りを楽しもう

最初にごあいさつがあったり、いただいたパンフレットにもあったのですが、

「外国語を母語とする保護者の家庭の子どもは、来日ばかりでも、長く住んでいても、同年代の日本語を母語とする家庭の子どもと比べて日本語がわからない状況にいます

とあり、ごあいさつでは、もう10年も日本にいて、会話もできているから、いいだろうと思われがちですが、そうではなく、長くいればいるほど、わからない日本語が逆に聞きにくくなったりして、まだ苦手だということが、ほかの人に見えにくくなっている。
たとえば、高校に進学したいとなったときも、きちんと日本語が習得できていないといけないが、そこまでいけない子どもも多い。
一方で、育ってきた、ご両親の話される国の「母語」も覚えておかなければならない、ということをおっしゃられたので、そんな意味のあるコンサートだったのかとびっくりしました。

このことについては、とても関心をもっていて、昨年聴講にいった「母語・継承語・バイリンガル研究会」でも言われていたことなんですよね!
そのときの記事はこちらです。

そういうわけで、第1部は、「外国につながる子どもさんたち(来日した外国の方や、外国で育った方や、ご両親のどちらかが外国の方など)」中心の演技発表、ということでした。

プログラムは、

1.ダイアナ石山 Song and Dance
ミュージカル「13(サーティーン)」などからの歌を、たくさんの子どもたちやティーンの方が出てきて楽しく生き生きと歌って踊ってくれます。
この教室は指導や雑談もすべて英語、ということだそうで、中にはこの教室で自然に英語が話せるのを喜んでいるお子さんもいるとか。
歌は、ティーンの方たちは、本当に歌唱力ありました!
衣装などからも、インターナショナルスクールの発表会のようでした。

2.THEアート・プロジェクト 多文化読み聞かせ隊

メンバーのお子さんたちが、金子みすずの詩やグーチョキパーの歌を中国語、スペイン語、日本語で暗唱や朗読にがんばりました。
最後は、アフリカのダンス「メケテュメパッパ」を会場とともに踊りました。

3.マチュピチュ(ペルー)

ペルーのことを知ってもらえるように活動しているということで、ペルー海岸地方のダンスであるマリネーラをこれは大人の方が男女ペアで踊ってくださいました。
足さばきが特徴的でひるがえる女性のドレスがきれいでした。

4.GRUPO ABC(グルッポ・アーベーセー) (ブラジル

ブラジルにつながる子どもたちが、ポルトガル語で、「マシュ・ケ・ナダ」を歌ってくれました。

5.プアピアケ・ミホ フラスタジオ

第1部の最後は、フラダンス。
子どもたちがじょうずに踊ってくれました。

このように、第1部は、さまざまな国につながる子どもたちが登場して、日ごろ一般の日本人には「見えない」存在が今日は楽しく「見えて」いい催しだと感じました。

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第2部は、モンゴルから来日して12年になる馬頭琴奏者セーンジャーさん登場。

モンゴルのスライドでモンゴルの田舎の生活を説明してくれました。

そのあと、多文化読み聞かせ隊のみなさんとスライドによる朗読『スーホの白い馬』をセーンジャーさんの馬頭琴を入れながらの公演。

そういえば、以前バンコク子ども図書館で、「チェロとともに語るセロ弾きのゴーシュ」という朗読会を企画して公演したことを思い出しました。
そのときは、二年間企画をあたためていて、ちょうど運よく、日本人のチェロ奏者の方がタイに来られたのをお願いして、協力していただいたのでした。

でも、さすがに馬頭琴とともに語る『スーホの白い馬』とは、考え付きませんでした
さがしたらバンコクでも馬頭琴を弾ける方が・・・いる・・・かな?coldsweats02

朗読につける音楽は、全部セーンジャーさんが作られたそうですが、とても雰囲気がありました。
馬のいななきや、ひづめの音まで、馬頭琴で表現されていました

馬頭琴は、写真のように(以前モンゴル大使館で撮らせていただいたもの)、馬の頭がついていてステキなんですよね。

朗読もとてもよくて、馬頭琴の音色とともに、よく知っているお話でしたが、最後涙が出てきてしまいました。

朗読後は、セーンジャーさんのお仲間という女性の方が、モンゴルの踊りを踊ってくださいました。
すてきなドレスにお茶碗を5個くらい重ねて持っているのですが、それをなんと頭に乗せて、華麗に舞ってみせる姿に会場からは拍手が。

そのあと、セーンジャーさんが馬頭琴を二曲弾いてくださいました。

多文化に生きる子どもたちのことを考え、実行し、このようなステージまで作られていて、ほんとうにすばらしい活動だなあと心打たれて帰路につきました。


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2011/09/05

 『ユミとソールの10か月』読みました

Honyumi

クリスティーナ・ガルシア作『ユミとソールの10か月』。

作者は、キューバ人で現在アメリカ在住

でも、この物語の主人公の名まえはユミ・・・これは、日系の少女の物語・・・?

とふしぎに思って、借りてみました。

すると、主人公は、ユミ・ルイス=ハーシュという名まえで、おじいさんが、ユダヤ人で、おばあさんが、ヒロコという日本人だったんです。
ヒロコさんは、夫であるソールより25歳も年下です。

そうなんです、ユミのお父さんは、ユダヤ系アメリカ人と日本人のハーフだったんです。
しかし、ユミの両親は離婚していて、ユミのお母さんはキューバ人(グアテマラの血も少し入っているとか

はこの複雑な血統には、れっきとした実在のモデルがいるのだそうです
つまり、作者の娘さんだそうです。

しかし、この物語では、ユミのそうした自分の血統が問題になっていることがないのは、さすがアメリカ

離婚についても、ユミは時々父親と、父かたの祖父母を訪ねる生活が習慣化していて、安定しているといえました。

ところが、大好きなユダヤ人のおじいさんソールが、余命あとわずかということがわかり、母親は、再婚しようとしていることがわかり、学校で入っていたオーケストラ部は閉部の危機におそわれます。
ほかにも、オーケストラメンバーの中の親友と思っていた男子と仲がこじれたり・・・
いっきに、好きだった生活がくずれようとしてしまいます。

ユミがしたことは、再婚しようとする母親と再婚相手に反発しながら、余命わずかのおじいさんソールから、10か月の間にした訪問で、ソールの生立ちを聴かせてもらうことでした。

ソールとヒロコは、第二次大戦後横浜で出会って結婚したこともわかり、ソールは日本に住みたかったのですが、除隊されて、アメリカに二人で帰ると、貯金も底をつき、50才のソールは仕事もないと思い込み、ヒロコが有無を言わさず、勤勉に仕事に出るのです。
ユミのお父さんは、「主夫」ソールに育てられたのでしたが、今は、ソールとの関係も冷え切っていて、そのことにソールも心をいためています。

ユミはいろいろな問題に、今はやりのことばでいうと「心が折れそう」になりながら、たぶん、ソールの物語をただ聞くことで、自立心や強調性を作っていくのでしょう。
そして、人にまどわされず、自分が誰が好きか、そしてその好きな人を子どもながらどうささえていくべきか、アイディアを出していきます。

そのために、最後の最後に、もつれた問題が全部はじけて花火があがるような、大団円が待っていました。

たとえいろいろな人種がからみあっていようと、どこかに絆が結べる人がいれば、だいじょうぶなのだ、ということが描かれています

日本女性ヒロコは、少しずつしか登場しませんが、なかなかかわいらしいキャラクターに描かれていました。
そして、ユミが日本食が好きなところもおもしろいです。

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2011/08/22

青木淳悟『私のいない高校』読みました

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「物語の概念を覆す、本邦初「主人公のいない」青春小説!」

というのがこの物語『私のいない高校』のキャッチコピーです。

しかも、8月15日付の読売新聞の書評では(こちらのオンライン版で読めます)

「現代小説がなぜなおも書かれなければならず、また読まれなければならないのか。その理由を新作ごとに更新しつづける青木淳悟の――奇作、怪作とすでに目利きの読者たちを興奮させている本書は、まぎれもない感動作である。」

「奇作、怪作」?!!!!coldsweats02

それでいて、同じ書評子は、「そしてこの小説が連れてくるもうひとつの感動は、たとえば荒井由実の「卒業写真」を聴くときの」ようだ、とも言っているのです。

でも、私がこの本買おうと思ったのは、そういう惹句にひかれたのではなくもう一つの帯に書かれたストーリー、

「カナダからの留学生(でも英語が苦手)を受け入れた、とある高校での数か月・・・」
ということばだったのです。

今、関心があるのが、「移動する子ども」についてですから!happy01

・・・で。

たしかに、「私のいない」という題名からわかるように、高校生活を描きながら、高校生の一人称主人公「私」は出てこないんです。
かといって、教室にかくれているわけでもない。
そして、留学生ナタリーその人でもない。

しかし、「視点」のない小説って書くのむずかしかったのでしょうね。

この小説、やっぱり「わたし」という主人公はできてしまっていると思いました。

物語は、留学生を受け入れ、新学期のクラス経営のようすなどを、教務日誌の資料をたんねんに並べた、記録のようなていで書かれているのですが、だんだんとその視点が、「担任」にしぼられてきてしまっているのです。

熱血もない。
涙もない。
いじめも悩みもない
起承転結のドラマもない。

たしかに、学校やクラス経営において、思ってもいなかった問題は起こります。(たとえば、カナダからの留学生ナタリーは、ブラジル系カナダ人だったため、ポルトガル語しかしゃべれないことが、ナタリーが来てからわかった、とか、女子高から共学校になる一年目だったので、部活の開始が遅れている、とか、軽い盗難事件が起こる、とか)
しかし、それらも、担任や学校の配慮で、日常の処理内で解決させられているのです

ナタリーは、ことばが問題ながら、特に悩むようすもなく、いじめられることもなく、担任にも他教科の先生にもあたたかく見守られ、就学旅行の班分けもクラス全体で特に問題もなく決まり、なごやかに終了します。

そうしたことが、まるで「問題の起こらない『坊ちゃん』(つまり、担任)」のような感じで語られていくのです

しかし、詳細で具体的な、留学生受け入れのようすなど(時間割や、ポルトガル語が話せる人や修学旅行先でパンフレットをさがすことなど)淡々と描かれていますが、そこに担任の苦労ややる気や充実がそこはかとなく感じられるのです。

そうしたことで「荒井由実の「卒業写真」」のような郷愁という感じがよくわかります。

現実世界にあるようでないような、「軽く問題が起こるけれど、先生たちに見守られて、なにごともなく終わる」なごやかな学校生活への郷愁。最後についた「カエデ」の木へのあだなの挿話が、そのイメージを象徴していて、なかなかうまい!
と思ったことでした。

小説にも、書簡集や記録集で語られるものもありますから、「本邦初!」の「奇作、怪作」というのは、ちょっとおおげさかと思いました。
でも、私は好きです。

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2011/07/31

『豆腐礼賛』渡辺謙さんが詠む収容所で日系人が作った詩

『豆腐礼賛』

「ころころと豆に育って 世に出たものの
 水責め火責め 石に擦られてその上に
 絞りあげられ 豆腐となって
 四角にされても 角たたず
 暑さ 寒さの 季節に感じ

 食味豊かで 人には好かれ
 軒の小桶に 時たま浸り
 辛苦忘れた 月観と洒落る
 言ふに優しい 風雅あり
 如是々々 豆腐礼賛   」

この詩は、第二次世界大戦中、敵国から来たとして、理不尽に収容所に強制的に移住、収監された日系人の一人が、収容所生活の中で作ったものです。

旧漢字は新しい感じに改めさせてもらいました。

先日、『渡辺謙アメリカを行く 9.11テロに立ち向かった日系人』というBSプレミアムで7月19日と20日に放送があった番組をこちらの記事で紹介しました。

この番組は、第二時大戦中、敵国から来たというだけで、過酷な収容上生活を強いられた日系の方たちが、二度とそのような理由の無い差別を許してはいけない、と、9.11テロのあと、イスラム教やアラブ系の方たちを守る活動をした、という取材番組でした。

その過酷な収容所の一つで、日系人で9.11当時の運輸長官ノーマン・ミネタ氏が収容されていたのが、ワイオミング州のハートマウンテン収容所。

渡辺謙さんは、実際に零下30度という厳寒の収容所跡地に立ち、その収容所で定期的に発行されていた、という

「ハートマウンテン文芸」という冊子を紹介します。

それは謄写版刷りのようで、表紙は絵心のある方が収容所の生活のようすを、達者に描いたものでした
過酷な生活の中でも文芸誌を発行する、という日系の方の心に打たれましたが、謙さんが
「1番心をとらえられた」
として朗読してくれたのが、この「豆腐礼賛」だったのです。

つらい収容所暮らしの中で生きる日本人の心をしゃれのめした、いかにも日本人の精神の良さを伝えた詩だと私も感動しました。
おそらく、私にとっては祖父の世代にあたる方でしょう。

NHKに、メールで、ブログに掲載していいかお問い合わせしたところ、「引用」という形でならかまわないので、番組名や放送日時と、引用であることを明記してください、ということでしたので、掲載させていただきました。

この番組は、8月15日の夜19時半からNHK地上波で放送されますが、短縮版ですので、この詩が紹介されるかどうかはわかりません。

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2011/07/21

『渡辺謙アメリカを行く “9.11テロ”に立ち向かった日系人』」を観る

Honkusabana

8月15日、NHK総合テレビで、19時30分から放送があるのに先だって、NHKBSプレミアムのほうで、19日と29日に夜連続で「完全版」が放送された

『渡辺謙アメリカを行く “9.11テロ”に立ち向かった日系人』。

これは9.11テロのあと、アメリカで、イスラム教徒やアラブ系の方々に非難の目が集まり、彼らを飛行機に乗せるべきでない、という世論が巻き起こったところに、冷静に、
「そんなことはしない」
と、当時の運輸長官であり、航空行政のトップであった方が断固として拒絶したということがあり、その方に渡辺謙さんがしぶくせまるというものです。

その方が実は、日系二世で初めてアメリカの国会議員になったノーマン・ミネタさん(日本名峯田義男さん)。

そして、それと同時に、多くの日系アメリカ人が、差別と暴力の的になったふつうのイスラム教徒やアラブ人と積極的に平和的交流をはかろうとしたのだそうです。

そうした番組というのを予告編で観たので録画して、アメリカでは、そんなことがあったのかという覚書として書いておきます。

というのも、日本本国でそういう動きがあったということは、不勉強で聴いたことがなかったからです。
(もしあれば、どうぞ教えてくださいね)

なお、番組の詳しい情報については、上のリンク先の公式HPをごらんくださいね。

ミネタさんは、9.11のとき、運輸長官として、まず当時空を飛行していた4000機の航空機をすべて安全な場所に着陸させます。

それから、アラブ人やイスラム教徒が飛行機に搭乗する際「人種プロファイリング」をしろという動きに、断固として拒否します。

それは、正しいこと(Injustice)ではないから

という信念のもと、どんな非難にも屈しませんでした。

また、ロスアンジェルスの高校教師キャシー・マサオカさん(日本名正岡義枝さん)という日系三世の方は、9.11のあと、イスラム系高校生と日系高校生の交流イベントを月に1回の割合で開き始めました

それというのも・・・第二次世界大戦中、日系の者はみな、「敵国人」として不当に「収容所」に入れられた、という経験をもっていたからでした。

罪もおかしていない人々が「日系」という民族だからというだけで、家も財産も、そして基本的人権までもとりあげられる「不正」。

11才のとき厳寒時は-30℃にもなる収容所に入ったミネタさんは成長して議員となり、今後いっさいそのようなことにならないような法案を提出します。

そして、1988年、その法案は可決され、時のレーガン大統領は、日系の方々に公的に謝罪をしたのでした

このとき初めて、日系の方々は、40年以上頭の上にあった「屈辱感」がやっととりはらわれたような気持ちになった、ということでした。

選択は二つなのだ、「憎むこと」か「二度と起こらないように教育すること」か。

そのような実体験から、世間の悪意にさらされおびえるアラブ系やイスラム教の方々のために、ミネタさんをはじめ、日系の人々は奔走したのでした・・・。

まさに、意外なつながりであり、実際の収容所跡地を訪ねたり、ミネタさんの話を聞いて、時にもらい泣きする謙さんの真摯な姿もよかったです。

日系アメリカ人の方々が第二次世界大戦中、過酷な収容所生活を強制されていた、ということは案外日本人には知られていないことなようです。

トップ画像の『草花とよばれた少女』(シンシア・カドハタ)というYA文学に、その内容が書かれています。

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2011/07/16

やっと観られたマレーシア映画『タレンタイム』

Eigatalentime

マレーシアの気鋭の女性監督ヤスミン・アフマドさんの2009年の映画『タレンタイム』。
最新作であり、遺作となってしまった映画です。
51才という若さで急逝されたアフマド監督は母方の祖母が日本人でもあったということで、残念なことです。

この映画は、今までも日本で、映画祭などで何度か短期または単日上映があって、とてもよい評判を聞いていたし、私の好きな「高校生もの」だったので、観たいなぁーーーーと思っていたらなんと!

渋谷ユーロスペース、『ヤスミン・アフマド監督レトロスペクティブ』と銘打って、監督の作品六作いっきょ公開
とのお知らせが。

7月22日までで、上映スケジュールは上のリンク先にありますが、『タレンタイム』もまだ何度か上映されます。

・・・で。

初めてのマレーシア映画!

マレーシアの高校(日本でいうと、中高一貫の五年制らしいです)で、「タレンタイム」という舞台(体育館)でオーディションを勝ち抜いた7人の生徒が、歌や演奏、舞踊などを競い合う大会が開かれることになりました。

マレーシアの高校生のようすを見るのも初めてなんですが、とにかく、言葉がめっちゃ多言語で、どうなってるのか目が回りそうでしたー

で、会場ユーロスペースでは、「マレーシア映画文化ブックレット」という「マレーシア映画文化研究会」が発行してくださった冊子があって、1~3までが「ヤスミン・アフマドの世界」。
1が『タレンタイム』、2が『細い目』『グブラ』『ムクシン』、3が『ムアラフ―改心』『ラブン』についてで、
その1の『タレンタイム』を帰宅後熟読して、やっとようすがわかりました。
これは、ほんとうにすぐれもののブックレットでした!

だいたいネットでの紹介は、その決勝大会に出るマレー系イスラム教少女と、彼女を会場まで送迎する係になった発音障がいのあるインド系ヒンズー教少年の間に恋が芽生え・・・

と、ラブコメかな?
とも思わせられる紹介が多い(まあだから、観たいと思ったんですがcoldsweats01
んですが・・・

そんな脳天気なものではなかったんです!
もちろん、ユーモアはそこここにあり、会場からも私からも思わず何度も笑いがもれました。
そして最後は涙涙・・・。

まあとにかく、ブックレットによる、主要キャストの民族構成と言語を書くだけでも、マレーシアの複雑さがわかると思いますので、書いてみます!

slateギターの弾き語りをするオールAの明るい優等生ハフィズ(個人的に一番好きなキャラ)。実は母親が末期の脳腫瘍で入院している。
・・・マレー人、イスラム教徒。マレー語と英語を話す

slateハフィズに成績1位を奪われ、父親に暴力をふるわれる少年カーホウ(イケメン)。大会では二胡の演奏で、ハフィズとともに優勝候補。
・・・華人。おそらく、仏教・儒教かキリスト教。英語、マンダリン語で話す

slateおどけものの少年メルキン・・・華人。カーホウとはマンダリン語で話し、担任のタン先生とは広東語で話す。

noteムルーとその一家。この物語のヒロインであり、大学進学のためのアッパー6という予備科にいるため、少年たちより1~2才年上のあこがれの存在。
大会ではピアノの弾き語りで、やはり優勝候補の一人。
一応マレー人でイスラム教であるが、おばあさんがイギリス人。
こうした人たちは「プラナカン(マレー語で、混血、現地生まれという意味だそう)」と呼ばれるそう。マレー語と英語で会話する。

slateメイリン・・・ムルー一家のお手伝いさんで家族同然。華人だがイスラム教徒

slateマヘシュ・・・耳は聞こえるが話せない障がいをもっているが、まじめな性格をかわれ、決選出場者の送迎係の一人に選ばれる。そして、ムルーの担当となり、バイクで彼女を送り迎えするうちに、心を通わせるようになる。
しかし、マヘシュとその一家は、インド系ヒンズー教徒
家族は、タミル語、英語、マレー語を話す

slateそして学校の校長先生は、インド系イスラム教徒

とまあこんな具合なんです!

家族の会話でも、ずっと英語になったり、いきなりそこに、わからない言語が入ったり・・・。
で、ムルーとマヘシュは、ムルーはマレー語や英語で話すんですが、マヘシュは手話なんです

そして、タイも多民族多宗教とはいえ、ここまではっきり問題が出てきていない(特に、マレー人優遇措置による華人の地位の低さがない)し、仏教とイスラム教の対立が無いとはいえませんが、そういえば、インド系の方々をよく見かけたのに、そのことにふれた子どもの本を見たことがないのにも気が付きました!

マレーシアでは、宗教がかわると、親族家族やそのコミュニティ自体から切り離され、出されてしまうので、恋愛なども『ロミオとジュリエット』より深刻になってしまうらしいのです

こうした問題をはらみながら、しかしやはり、若者は、まだまだ希望があること、悩みさえみずみずしく、復活する力があること、タレンタイム決選にのぞむための努力、など、美しい映画でした。

挿入される若者たちが歌う歌の多くも英語なんですが、この映画のために作られたものだそうで、とてもよかったです!

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2011/07/14

『アギーの祈り』を読む・・・画期的な試みだけど

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「戦乱の後、難民たちが集められた島で学童の教師をするアギー。彼女の元にひとりの少女が現れる。舞の才能を持ったラキ」

これは、教文館子どもの本の店ナルニア国が編集した『2010年に出た子どもの本』にあった、

濱野京子さんの『アギーの祈り』という本の紹介文です。

この紹介文を読んだとき、てっきり、ラオスかカンボジアかアフガニスタンか、はたまたコソボかアルバニアか、どこかの難民キャンプで、舞の才能を見せた少女が、復活した師匠などについて、舞を習う、という物語かと思い、美しい文化についてくわしく知れるかと、いそいそと図書館にリクエストしたのでした。

ところが!

驚いたことに、というか、まったく意表をつかれ、これは、架空の世界の難民たちの物語だったのです。

いわば、異世界創作。
難民たちについての異世界創作、というのは、初めてといってもいいのではないでしょうか?
その点では、とても画期的だと思います。

しかし、画期的なテーマですが、物語にリアリティを与えているでしょうか。

舞の名手ラキと、彼女を見守るアギー先生。
かつて敵対していた三カ国の孤児たちを集めた学堂が、「中立の場所」として定められた「スサ島」に建てられ、アギーはそこの教師をしていたという設定です。

実は、この物語は「戦乱と敵対の無意味さ」というものは、ラキとアギー先生の特殊な関係を感動的なものにするために作られた背景にすぎないものなのでしょうか。

というのも、ページ数の関係でしかたなかったのかもしれませんが、敵対していた国、「ハルーン」、「テルン」、「マケラ」の違いが、読んでいるだけでは今一つ特徴がはっきりとわかれておらず、学堂の中でのハルーン人、テルン人、マケラ人、の子どもたちの対立も、誰が何人か、ということが読んでいてわかりにくいのです。
ただ一つ、マケラ人は、銀髪だということは書かれていますが・・・

ですから、だんだんと子どもたちの間の対立が消えて・・・という過程もくっきりした胸が熱くなる感動をさほど呼ばないような気がしたのは私だけでしょうか。

私たちは、コソボとセルビア、アルバニアの対立や、あるいは、スリランカの中でのシンハラ人とタミル人の対立、など、現実にそうした対立が多々あることは知っています。

しかし、そうした対立も文化的、宗教的なことをよく知らないかぎり、なかなかむずかしいものです。

それが「架空の国」ともなると、やはり、『指輪物語』や『守り人シリーズ』ほどしっかりした世界の構築が必要だったのではないでしょうか。
書かれなくても、作家の中で、三つの国の文化や習慣、さらに戦争前や戦争中にどのような交流があったのか、という世界構築がしっかりできていると、文章のはしばしにそれが現れ、もう少し子どもたちの区別や、三カ国が抗争しなければならない悲劇も浮き上がってきたことでしょう。

ことに、日本人が忘れがちなのですが、「宗教的違い」があるかないかということが、まったく無視されていること
こうした「信仰」の違いによっても、国々の違いの色や匂いは立ち上ってくると思います。
さらにいえば、「舞」のもつ意味も深くなってくると思われます。

戦争児童文学などにありがちなのですが、テーマを言いたいあまりに、「ステレオタイプ」な描き方になってしまう。
この作品も、意欲作ながら、そのワナにはまっているような感じがして残念に思いました。

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2011/06/19

アジア研究所公開講座『東南アジアの「老い」をどうとらえるか』

20110618asiadaigaku

1つ前、6月17日のASEAN青年親善キャラバン来日の記事について、白田麻子さんからの補足です。
まず、この活動については、外務省のプレスリリースにもあがっていました。

そして、白田さんがとてもいいことを書いてらっしゃいましたので、引用します。
私も言いたかったことですが、書き忘れていたことです。

「手伝うのではなく、お互いの被災の話を語り合う、美味しいアジアの食事を振る舞うとか、踊りや音楽を見せるとか、お互いに楽しんで明るい空気を作っていたところがとても良かったです。発起人のスリン事務局長も自らがれき撤去したり若者の間に溶け込んでて良かった。」

これこそが、東南アジアの文化的特性なんですよ

とここから、話を、18日の土曜日に亜細亜大学アジア研究所で開催された公開講座につなげます。

これは、「高齢化とアジア」という4回シリーズの講座だったのですが、あいにく土曜日は仕事日なので、第3回目にあたる、
「東南アジアの「老い」をどう捉えるか」のみ参加してきました。

そうしたらこれが大正解!
なぜって、「タイ」をモデルにしたお話だったからです。

お話は、(株)日本総合研究所 主任研究員 大泉啓一郎さんという方、70年大阪万博のとき小学校一年生といいますから、気鋭で才気煥発、関西弁まじりの早口で整理されたお話っぷりでした。

そして、そこには衝撃の事実が・・・!

日本が出生率が低下している・・・というのは、もう日本人なら知らない人のいないほどの問題となっていますが、実は東南アジアでもすでに、出生率は思いっきり低下していて、少子化・高齢化の一途をたどっているのだそうです


統計グラフを示してもらってびっくり!
ベトナム、タイもすでに女性一人あたりの出産数が2を切っているのだそうです

そして問題は、日本では、少子高齢化として、高齢者への福祉が問題になってはいますが、一応日本の高齢者は、ある程度の所得を獲得してから高齢になっている。
(もちろん、ホームレスや生活保護の問題もありますが)

しかし、東南アジアでは、低所得のまま高齢になっている人口がくらべものにならないほど大きい。
この方たちへの社会保障制度が整っていないことが問題なのだそうです。

ことに、都市部へはたくさんの若者が職を求めて流入してきますから、若者人口は多いのですが、農村部にいくと、都市に若者が流れた分、いなくなってるわけですね。
でも、すでに農村も「少子化」になっている。

原因の一つとして大泉先生があげられるのは、

「農村部の親たちが、農家をつがせて自分たちのような苦労をさせたくない
そのためには、学歴をつけさせたい。
しかし、たくさん子供がいるとそれはムリである。
したがって、子どもをへらす

ということになってしまうのだそうです。

ここで、日本と東南アジアの農村部の大きい違いは、日本では若者が都会へ流出すると村は「過疎」になってしまうのだそうですが、タイでは、中高年から老人層は農村に残っているのだそうです。

そこから、農村部のタクシン派、と、都市部のアピシット派との抗争が起こるという図式です。
ただ、農村部は人口は多いのですが、国を左右する大局を見る目は都市のもの。
しかし、あまりに経済格差がありすぎて、都市の国を動かすための論理は、農村部には全く通じない、ここに悩みがあるそうです。
少子高齢化の農村部への公的扶助が確立されていないわけです。

そこで日本の役割ですが、先生の提言としては、日本も少子高齢化といっても、そこには、
「高齢者が元気である」
という日本ならではの特性がある

「元気、知恵、知識、そして今回の震災で発揮された、助け合いという文化特性」。

これらを、福祉ネットワークとして、東南アジアの問題解決の助けにできないか。

そこで、
「タイでは、老人には敬意をはらうという文化がありましたが、それはもうすたれたのでしょうか」と質問させていただいたところ、

おもしろいことに、今、
「国家家族開発計画」というのがあって、「家族仲良くしましょう」とか「月に1回はハイキングに行きましょう」とか、国が音頭をとっているんだそうです。
ということは、家族が崩壊しつつあることを恐れて・・・という意味があるかもしれない。

しかし、ほんとうの危機に瀕したとき日本人がパニックにならずに、助け合ってのりこえたように、タイでも、ほんとうの危機に瀕したときこそ、文化的特性が出現してきた。

それは、たとえば、農村で一人暮らしのおばあさんを、2キロ離れた「おとなり」の親戚でもなんでもない人が、毎日面倒を見に来る、といったようすにも表れている。

それは希望であるし、そうした敬老の心、やさしい笑顔、それらこそ、日本のほうが学ぶべきことではないでしょうか、ということで、話はしめくくられました。


とにかく、いっぱい資料をもらっていっぱいノートにとりましたが、アジアも流動しており、固定化したステレオタイプの概念では、たとえ絵本のことといえども、生半可に考慮してはいけないと勉強させていただきました。

(写真は、亜細亜大学のキャンパスにあった花です。変わっていてきれいな花ですね、名前がわからないのですが・・・・)

なお、大泉先生の著書としては、中公新書から『老いてゆくアジア―繁栄の構図が変わる時』という本(2007年)と、『消費するアジア―新興国市場の可能性と不安』(2011年)が出版されているそうです。


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2011/05/22

『チョコレートと青い空』読みました

Honchokolateto

アフリカのガーナから、農業研修生の青年がうちにやってきた・・・

という児童文学が出た、とツイッターで知って、さっそく購入したのが、

チョコレートと青い空』です。

作者堀米薫さんは、岩手大学大学院ご出身で、現在宮城県角田市で、和牛肥育、水稲、林業を営んでいらっしゃるそうです

そして、今回このブログを書くにあたって、検索したら、堀米さんのホームページがあって・・・

なななんとーー!!

タイ、イサーンで農業指導もされてらっしゃいましたーーーcoldsweats02

あとがきによると、堀米さんは実際に、国際協力事業団を通じて、海外研修生を受け入れていらっしゃるそう。
しかもその国は、

ガーナ、マラウイ、ケニア、ウルグアイ、ドミニカ、アンティグアバークーダ、パラオ、サモア、タジキスタン、ウズベキスタン・・・

とめっちゃ多岐にわたってらっしゃるではないですか!

これだけの国々の方が、日本の農業を学びに来ていらっしゃるんですね~~~。


さて、作品ですが、ガーナからの研修生エリックさんがやってきた「ぼく」は、三人きょうだいの真ん中。
むじゃきな幼稚園生の妹と、中二で反抗期のお兄さんにはさまれています。

そのような家庭に、外見から「異国人」のエリックさんが、どのようにして、うちとけようとしたか

そのようすをかいま見ることができます。

この本が貴重な本だというのは、現在日本では、「多文化共生」という問題がだんだんと日の目をあびてきているのですが、日本の児童文学では、まだ数が少ないということ。

現代の作品では、那須田淳さんの『ペーターという名のオオカミ』、ニジェールに青年海外協力隊として幼児教育指導に行く若い女性の物語 『砂漠の国からフォフォー

など良い作品もありますが、数少ない作品の多くは、

「日本人が海外に行く」
という物語なんです。

ところがこの物語は、やっと出た、というべき、

「海外から外国人が来る」
という「共生」の物語なんですねーーー。

ぜひみなさんも、読んでみてくださいねhappy01

それから、余談ですが、こちらは、私が以前作成した、海外にいる日本人を描いた作品リストですが、

どうも、日本人は、「アフリカ体験」「アフリカとの共生」のほうが、アジアとの共生より今児童文学にしやすいみたいですね
遠いからこその良さ、そして太平洋戦争時の記憶がないからこそのこだわりなさ・・・というのはうがった見方でしょうか。
(これに関しては、さくまゆみこさんの『どうしてアフリカ?どうして図書館?』を読もうと思っています)

なお、東南アジアでは、タイから、タイのマンガ家タムくんが、『タムくんとイープン(日本)』で、日本語で、日本とタイの共生についてエッセイを描いているのですけれど。


Hontumkuntoipun

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2011/05/17

おもしろい本見つけた!『図書室からはじまる愛』

Hontoshositukarahajimaru_2

友人にすすめられたこの本、とてもおもしろかったです!

パドマ・ヴェンカトラマン『図書室からはじまる愛』です。

インドが舞台の翻訳小説・・・というイメージから、細かい字のわかりにくい文学では?
という先入観があったとしたら、全然ちがいます!happy01

字も大きいし(笑)、
お話は・・・

1941年のインド。
15歳の少女ヴィドヤは、本が好きで、大学に行きたいとひそかに思っているのに、いじわるな叔母の家で、嫁に行かされそうに・・・

これはまさに、「インド版赤毛のアン」であり、「インド版、宮廷女性チャングムの誓い」(宮廷にはいきませんが!)ではないですか!

そして、ちゃんとロマンスもありますhappy01

ヴィドヤのみずみずしい希望、悲劇、そしてすばらしい図書室を見つけたときの気持ち・・・

それらが、インドのいろいろなお祭りの楽しい描写といっしょに書かれているのです。
「クリシュナ生誕祭」、
「ガネーシャ祭り」、
「光の祭りディーパヴァリ」
「収穫祭ポンガル」・・・

ことに、いじめられる目にあってからの祭りのようすはまるで「小公女」のよう

そういえば「小公女」はインド帰りの少女の物語でしたよね
「小公女」の向こう側ではこんな世界が展開していたともいえます。

一つ知ったことは、この1941年という年代は、インドは内部ではイギリス支配からの独立運動に揺れ、外からは、第二次世界大戦の脅威が迫った時代であったということ

ムンバイも、なんと日本軍からの空襲を恐れる日々だったそうです。

そのような時、インドの若者は、ヒトラーのひどい支配を破るためには、独立運動の敵であるイギリス軍に入らねばならない(インドはイギリス植民地だったから)というジレンマにさらされる。

このことは書かれてみて初めてわかりました。

もう一つおもしろかったのは、ヴィドヤがどんな本を読んだかです。
これも、本好きさんなら気になるところでしょう。

まず、インドの聖典『バガヴァット・ギーター』というのが家庭に浸透していたのがわかります。

しかし、ヴィドヤはまた『オリバー・ツイスト』『ハンス・ブリンカー』『アイヴァンホー』を、タゴールやサロージャ・ナーイドゥ(詩人だそう)、ラマナ・マハリシ(哲学者)とともに楽しみます。
そしてまた、オーロビンド・ゴーシュの『ヴェーダの極意』という本も、お父さんが話題にしていたことを思い出して読んでいきます。

こうしてみると、インドの本好き少女さんの前には、とても豊かな文学世界が開かれていることがわかりますね

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