2007年6月25日 (月)
2007年3月10日 (土)
2007年3月 6日 (火)
第46回・ドゥアン・プラティープ財団との出会い
第46回・ドゥアン・プラティープ財団との出会い
「日本人会の子ども図書館」へは、コンケン移動図書館、バンコク幼稚園教職員組合の方のほかにも、いろいろな見学者が訪れてくれました。大阪府立図書館職員、市内日本人向け幼稚園の園外学習。
しかし、特筆すべきは、この1998年から、日本人学校が、小学3年生で社会の「公民館」を学ぶ際、見学する場所として、私たちの子ども図書館を学校で勧めてくれるようになったことです。
日本的な公民館はバンコクにはありません。私たちの子ども図書館は、常設司書不在の「子供文庫」であるけれど、バンコクでは、「半公的」になったといえます。
しかも、翌年1999年には、日本人学校の副読本、「私たちのタイ・バンコク」が新版になるに際して、私たちの子ども図書館が、カラーの写真やイラスト入りで、数ページにわたって紹介されるようになったのです。
そのような中、タイのスラム支援組織としては世界的に有名な、ドゥアン・プラティープ財団の「おはなしきゃらばん」(ニターンキャラバン)さんから、連絡が入りました。
2007年2月25日 (日)
第45回・『しろくまちゃんのホットケーキ』は大人気
第45回・『しろくまちゃんのホットケーキ』は大人気
さて、このタイの先生たちへのワークショップのとき、万田さんは、大活躍でした。『ぐりとぐら』『さんびきのやぎのがらがらどん』のお人形劇の小道具大道具作りは万田さんでしたから。
けれど、この時、万田さんは、本帰国がきまっていたのでした。
そんな万田さんが最後に作ってくれたのが、わかやまけんさんの『しろくまちゃんのホットケーキ』(こぐま社)を大型紙芝居におこしたものでした。(著作物使用許可済み)
第44回「日本人のお母さんはどこで習ったの?」
第44回「日本人のお母さんはどこで習ったの?」
1998年2月は、コンケーン移動図書館さんとの交流や、300人もつめかけた初のオペレッタ人形劇「さんびきのやぎのがらがらどん」公演など(バンコク子ども図書館物語第35~41回)1995年に始まった活動も、充実してきました。
そんな中、タイの児童出版社編集長ポンアノーン先生が(その出会いと交流については、第28回から31回までに)、一度、バンコクの幼稚園の先生にお話会の見学と紙芝居や人形劇の道具などを見せてあげてくれないかと連絡してこられたのです。
2006年10月31日 (火)
第42回・コンケーン移動図書館との出会い
第42回・コンケーン移動図書館との出会い
1997年後半は、蓮野さんの参加を得て(ムリヤリ?笑)『がらがらどん』のお人形を作っていたのですが、そんな中、タイ語にたんのうな合道さんが帰国して、あとをついだこれまたタイ語にたんのうな笛田さんを中心に、図書館にタイ語絵本を翻訳して収蔵しようという「タイ語班」もほそぼそ活動していました。たとえば、タイの絵本『ばったがぴょんぴょん』をペープサートにおこしたり。
さて11月のある日、雨季もあけて、猛暑の中生徒数2000人の日本人学校の大運動会も行われようという中、『バンコク週報』という邦字誌を読んでいると、こんな記事が目にとまりました。
「乾季のタイ東北部は朝夕の気温が非常に下がります。意外と思われるかもしれませんが、長袖のトレーナーやジャケットが必要となります。みなさんのお宅にそうした古着があれば寄贈していただけませんか」
2006年9月12日 (火)
第41回・『さんびきのやぎのがらがらどん』その5
第41回・『さんびきのやぎのがらがらどん』その5
いよいよ本番の日。部屋の用意をしているうちに、私たちは、たいへんなことが起こりつつあるのに気がつきました。
日本人会はマンションの7階にあるのですが、そのエレベーターの扉が開くたび、今まで見たことも無いほどたくさんの親子が、続々とおりてきているではありませんか。
3基あるエレベーターは何回も何回も止まり、そのたびに新しい親子があとからあとからあふれ出てきます。その波は時間が近づくにしたがって、おさまるどころかますますふくれあがってきました!
こんな光景これまで見たことがありません!
「これで、お話会の部屋に入りきれるの?」
私たちは青ざめました。
2006年9月 5日 (火)
第39回・『さんびきのやぎのがらがらどん』その3
第39回・『さんびきのやぎのがらがらどん』その3
万田さんが作って来てくれたのは、まずヤギたちの渡るつり橋。
サランラップの芯をたくさん集めて、そこに紙をまいて一本一本の丸木にし、それでつり橋を作ったのです。
本格的なつり橋です!









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